ホームレスから父に成る!

ホームレスだった男の育児と日々の雑感

1歳児の虫歯

かみさんが子らを連れて歯医者に行く。


3歳児は問題ないが
1歳児の娘が虫歯になり始めているとメールがくる。






私は帰宅すると
すぐ1歳児とともに入浴する。


1歳児は気持ちよく入浴してくれる。


私は1歳児の歯ブラシを手に取り
歯磨きをしようと試みるも
頑な拒否(+)


歯ブラシを口に入れようとしているだけで
そのうちに泣き出してしまった。


その泣き声は
殴られ叩かれする虐待を受けているかのような
大声で助けを呼ぶような声だ。



いつもの私であれば
泣いて嫌がることをしないが
私にはこの時間しか1歳児の歯を磨く時間が作れない。


ぎゃあぎゃあと助けを呼ぶようにして叫び泣く1歳児。
幸いにも泣くと口が開く。


開いた口から
素早く、しかし優しく歯ブラシで歯を磨く。


2~3度ほど歯ブラシを動かしては口から離して
口を開け泣いているところを素早く短く磨くを繰り返す。


1歳児の身体を押さえつけたり
無理矢理に歯ブラシを押し込むようなことはしない。


身体を抑えずとも
風呂桶の中で泣く1歳児に逃げ場はなく直立不動だ。
泣くために口は開いている。




この1歳児の大きな悲鳴を事情を知らない人が聞けば
家人に殴られているか
タバコの火でも押し付けらしていると思われてもおかしくない。


それほどの迫力で
歯磨きを拒否し泣く。


私は歯ブラシをちょんちょんと1歳児の口に入れ
短く歯を磨いているだけだ。




嫌がることをしたくはない。
何度もブログに記してきたように。


しかし私が歯磨きをやらなければ
1歳児は虫歯で悲鳴を上げることになる。




末子と長子に愛情の差を付けないでくれと
かみさんには幾度となく伝えてある。


かみさんが
なぜ1歳児の歯を磨いてあげないのか
私にはわからない。


これが末子と長子への愛情の差なのだろうかと。


そう考えたくはないが。




1歳児の歯を守ってやれなかった。
これからは私が
1歳児の虫歯が増えないように磨く。


1歳児に対し
申し訳なさが募る。



1歳にして虫歯だなんて


悲しい。





己の生きる環境を整えるは己

昼食 帰宅
家には誰もおらず静かだ。


今日はママ友らとランチだと
かみさんが言っていた。




私はここぞとばかり
遊んだままに散らかった玩具を片付け
掃除機をガリガリと部屋中かける。




あっという間にテニスボール大の埃が取れた。(ミニカーは大きさ比較)


お恥ずかしい話だが
如何に掃除が行き届いていないかを
私自身が目の当たりにし驚いている。




私はこれまで
「掃除は専業主婦たる妻がすべき作業」と考えていた。


しかし、それは間違いだと考え方を改めた。
そういう考え方・態度は、子の成長が歪む。


「掃除は妻(母親・専業主婦)がすべき作業」ではない。


その背を見て子が育てば
生きるに大切な作業であるにも関わらず
他人まかせにしてしまう子が育つのではないかという疑念が湧く。



どういった環境・関係であれ
「己の生きる環境を整えるは己」であるということ。


私自身が、夫婦という関係に甘え
生物的な弱に陥っていた。


テニスボール大の埃が取れたのも
私自身が「日中に働いている」を理由に
生きるに適する環境を整えてこなかったためだ。


妻がいようがいまいが
自身が生きる環境は、自身が責任を持つべきだと。


共生という考え方もあるが
私はそれを「甘え・生物的な弱」とする。




ひととおり掃除を終えると
昼の休憩も終了間際だ。


時間は無いが
気持ちよくシリアルに牛乳を落とし
かきこむようにして胃に収め仕事に戻る。




気を付けなければならないのは
かみさんの母親としての自尊心を守ること。


掃除をしただけで
鬼の首を取ったように
これだけ埃が出たと騒ぎ立て
掃除がどうのと始めるのは最悪の悪手。


自分が生きる環境を整えたに過ぎない。


生物的な弱から
一歩、生物的な強に近付く。




生物的な弱を考えるとき
反面教師とする私の父親を思い出す。


父親は自身の靴下がどこにあるかもわからなかった。


共働きの母親が用意した食卓を
スーパーの総菜ばかり並んでいるとぼやいたが


母親と別れた父親の食事は
スーパーの総菜のみだった。


自身で栄養を考えた食事を用意もできない生物的な弱。




考え方の問題だ。


かみさんが
私の生物的弱に陥るを退けてくれたのだから。


私は、私自身が生きる環境と
家族が安心して生きる環境を整えるに
責任を持ちたい。



かみさんに礼をつたえねばなるまい。


成長を
ありがとう。









家事を疎かにする妻のスマホゲームをどう考えるか

昼食で帰宅


家の中は静かだ。

1歳児が昼寝をしているのだろう。


私は玄関ドアを音を立てずに閉める。


気配を消すことには

無駄に自身がある。


私は音も無く居間に入ると

子らが遊んだ玩具が散乱している。


寝室を覗くと

昼寝をする1歳児の傍で

かみさんがスマホでゲームをしている。


かみさんは私に気付くと

愛想笑いして

昼食の支度に取り掛かる。




「午前中って、いつも何やってるんだい?」


いつも思う疑問が

口を突いて出た。


かみさんは口籠りながらも言う。

「☆ちゃんと一緒寝ちゃってた。」



今日、どう過ごしたかを訊いているのではなく

いつも、どう過ごしているかを訊いたのだが。


私は何も返さず

黙るを決め込んだ。




かみさんは掃除をしない専業主婦だ。


しないと言うと語弊がある。

ろくにしない専業主婦だ。


かみさんをディスりたいわけではないし

愚痴をこぼしたいわけでもない。




今年の初めに

ゲーム障害のニュースを見る。


ゲーム依存症、ゲーム中毒などと呼ばれる状態を

WHOが国際疾病分類に加えるという。


私はかみさんのスマホゲームに

それを想起する。




私が小学生の頃

授業中にトイレに何度も立つ私を

女教師は私がふざけていると思い

強烈に叱責した。


私は女教師の怒るさまが怖く

トイレに行きたいと訴え出ることが出来ず

授業中に漏らしてしまう。


これにより受診し

難病を発症していることがわかった。



何を言いたいのかというと


病気と認識されるまでは

状態の異常を

理解してもらえない辛さがあるということ。




かみさんがスマホゲームを

日中深夜を問わずに興じて


日中に眠くなり

家事を疎かにする。




3歳児が背中が痒いと

風呂上がりに訴えていた。


私は掃除されない環境が原因だと思ったが

言わなかった。


3歳児には

背中を洗いなさいと伝えた。




録画したアンパンマンや

パソコンの動画で子らは大人しくなる。


その間に

かみさんはすかさず

スマホでゲームをしている。


私がいるときでさえこれだ。




かみさんが先日に

3歳児がお父さんと結婚したいと言っていたと笑っていた。


私は笑えなかった。


なぜ、3歳児はお母さんと言わなかったのか。

私にはわかる気がして

悲しい気持ちになった。




かみさんのスマホゲームは

依存症の入り口あたりだと私は見ている。


そのために

黙るを決め込んだ。


私が言えば

それはストレスとなり

子らに跳ね返る。




かみさんに叩かれたことがあるか

3歳児に訊いたとき

3歳児はあると答えている。




子を叩くのは親の甘えだ。


親が説明する(子に寄り添う)時間を渋り

暴力で解決を図る悪手。


子に寄り添う時間を渋って

親が何をしているか。


ゲームのレベルを1上げることに

心血をそそぐ愚。




人は見ることを好むが

見続けることを嫌う。


子の成長でさえ見続けることが苦になり

別の何かに気を取られる。


大切なものが綻びていくことにも

気付きさえもせず。




かみさんに

心療内科の受診を勧めるか

考えている。


スマホゲームに関しては

黙るを決めるが


子を叩くことは言わなければならない。


私は体罰を

部分的に容認する考え方を持つが


親の説明不足を棚に上げた暴力は

認められない。




かみさんと

子らを守りたい。



ありがとう。