ホームレスから父に成る!

ホームレスだった男の育児と日々の雑感

3歳児の近況

3歳児が

私の予想を上回る成長を見せている。



夕食後

3歳児はソファの背もたれに腹を乗せ

くの字になったかと思うと


そのまま頭からソファの座席を前転して滑り

着地して笑顔を見せる。


突然のことに

私が目を丸くすると

その表情が面白かったのか

彼は何度もソファで前転をして見せる。



兄の行動を見ていた1歳児が

それを真似して


ソファの背もたれに

くの字になって頭から滑り


座席部分に顔で着地しては

満足気に笑顔を見せる。




ふざけるなとは言わないが

ふざけているときが一番ケガしやすい


自分や誰かが痛い思いをするような

ふざけかたはしないように

3歳児には伝えてある。



彼は1歳児にぶつかりそうなときなど

危ないと判断すると

行動を自重するようになっている。




先日、体育館のような施設に行った際に

児童用のボルダリングの壁を

3歳児はするすると登って見せている。


彼は日頃から嘯く。

「ニンジャになりたい。つよくなりたい。」


これは私が身体が虚弱なため

1.5リットルのコーラのペットボトルを

筋トレとして持ち上げては


強くなればあんなことやこんなことができるんだと

動画を見せして聞かせているからかもしれない。




テレビに録画したジュラシックパークを

3歳児は観ている。


30〜40分に分けて何日かかけてだが

最初から最後まで観たのは

これが初めてかもしれない。


恐竜に人が襲われそうになると

テレビ画面から離れ

隠れて観ている。


「怖いなら、消すかい?」


私が訊ねると首を横に振り

テレビの前に戻り観ている。




残酷なシーンなどもあるが

私はジュラシックパークを許容範囲内とした。


私は秋葉原で10年ほど前にあった

殺人事件を思い出していた。


犯人の加藤は

親からテレビの視聴を厳しく制限されていたと

何かで読んだ。


それ以外にも

国内外の凶悪・猟奇犯罪者や

親殺しをする子の生い立ちを知るに

厳格な親というキーワードを度々に見る。


エンターテイメントを

どこまで許容範囲とするかは

その親の考え方によるだろうが

家族で楽しめる範囲であれば許容していきたい。


幼児と対峙するとき

厳格ではなく寛容でありたい。




幼児が1人で観る環境を避け

一緒に視聴して話しながら見たい。


映画に限らず

テレビのバラエティであったり

いつも観るアニメや動画でも

幼児が1人で孤独に観ることを

出来るだけ避けたい。


1人孤独に観る習慣ができれば

いつか大きな落とし穴になりはしないかと

考えてしまう。




かみさんが

子供用のスケボーを買ってきた。


3歳児はあまり興味を示していないが

1歳児が食いついている。


近いうちに

どこか安全な場所で

子らと一緒に遊びたい。



ありがとう。

3歳児と しつけと気持ち

新潟での線路上に女児を遺棄した事件あたりから
連続して恐ろしい事件が報じられ気が滅入っている。


とくに船戸結愛ちゃん虐待死事件は
2児の子を持つ父として記憶に残しておきたい。


胸が裂けるような
強烈に悲しい事件だ。






「しつけ」とは何だろうか。



しつけ
【仕付け・躾】
礼儀・作法を教え込むこと。 



たしかにそうだが
その根底になければならないのは


礼儀作法を教えることによって
社会・集団での立ち居振る舞いを身に着けた人物になる。


つまり「しつけ」は
「同じ社会を構成していく人間を育む行為」であり
「親の言うことを素直にきく子にすること」ではない。




「親の言うことを素直にきく子にする」というベクトルでは
よそさまの子の行動を咎めることがない。


しかして
「同じ社会を構成していく人間を育まん」とするなら
よそさまの子に関係を問わず
道に外れそうな子らがいれば、その行為を咎めるを辞さず。




「そういうの、悲しい気持ちになるから止めてくれよ。」


ふざける3歳児に何かしら注意したり怒ったりするとき
私は悲しい気持ちになると伝える。


なんで怒っているのかが2~3歳児には理解できなくとも
3歳児のする行為により
大好きな父親が悲しい気持ちになっているのだと知れば
彼はその行為を止めてくれる。


やめてくれたときにも必ず気持ちを伝える。
「ありがとう、止めてくれて嬉しいよ。」



暴力を使う必要性は未だ感じない。




悲しい気持ちになる
嬉しい気持ちになる
楽しい気持ちになる


3歳児には
この言い回しが効くようだ。


嬉しい、楽しいを伝えると
彼はそれを継続する。


悲しいを伝えれば
動作を止め、あとになって「ごめんね。」と伝えてくれる。




「てーてーてーてーてーててー!(トーマスのメロディ)」


歌いながら両手両足をぶらぶらさせ
ふざけて踊っている3歳児が
なかなかズボンを履かない。


早くズボンを履いてほしいと苛立っていた私は
こう伝えた。



「〇ちゃんの、そういうとこ、、、、


 (真剣な顔で見つめて時間を置く)


 、、、、、、、、好きだよ(笑顔)」



長く見つめられ怒られると思っていた3歳児は
解放されたような笑顔で踊りだす。


「てー!てー!てー!てー!てーててー!」


「さあ、ズボン履いてくれるかい。」


「うん!」


3歳児は快く応じてくれた。




私は子らに対し
しつけらしいしつけをしていない。


しかし、気持ちだけは口に出して伝えるようにしている。



「そういう乱暴な言葉を聞くと、悲しい気持ちになるから止めてくれよ。」


「バルコニー、デッキ掛けしてくれてありがとうね。
 手伝ってくれて嬉しかったよ。」


「今日は一緒に遊べて楽しかったよ。また一緒に遊んでくれるかい。」



彼は笑顔を見せない日はない。


ありがとう。











3歳児と父親参観

休日

幼稚園の父親参観に出席する。


3歳児は私と行く幼稚園を心待ちにしてくれており

だいぶ前から楽しみにしてくれている。


「おっとーしゃんと、ようちえん、いきたいの。」


彼は何度となくそう言うと

屈託ない愛らしい笑顔を見せてくれる。




笑顔の彼の手を引いて

幼稚園に向かう道すがら


幸せとは何だろうかという

水面に沈んでは忘れた頃に浮かび上がるを繰り返す

得体の知れない塊のような疑問について


何度目になることか

考えていた。


やや暑くなり始めた6月の日差しを受けながら

笑顔ではしゃぐ彼と共に歩けたことは

まさしくひとつの幸せだった。




幼稚園での彼は

家で見るより大人しい雰囲気だ。


内向的というわけではない。


椅子に座らず

ふざけて床に突っ伏しては屈託なく笑い

先生を困らせている。


多くの子らは

行儀良く椅子に座り

先生を見つめている。


園児の中では

わんぱくなほうだ。




背の順で並ぶと

驚いたことに彼は殿を務めている。


切迫早産により2300gで小さく産まれた彼が

大きく育ちつつあることが

私は嬉しかった。


3歳児は後ろに並ぶのが不満な様子。

先頭に立ちたいようだ。


この彼の気持ちも嬉しく感じる。


引き続き

睡眠、栄養、運動を心掛けたい。




参観の終わり際

20〜30人程度の園児たちに先生が言う。

「最後に、お父さんに絵本を読んで貰おうと思います。

お父さんに読んでほしいひと⁉︎」


言うが早いか

園児たちが一斉に手を挙げる。


「じゃあ〜、☆くんのお父さん!

読んで貰っていいですか⁉︎」


美人の先生が私を見て言う。



なぜか私は

私が読むことになるだろうなと

思っていたため動揺は無かった。


しかし社交辞令的に

「お、俺かぁ〜、、」と小さく呟く小芝居を打つと

園児の母親らがクスクスと笑っている。



私を体育座りの園児らが囲み

それを父母らが囲む。


総勢60名前後。


私は動じることなく

3歳児に聴かせているように

少しだけ声を大きく絵本を読む。


大勢の子らに

絵本を読むことが楽しかった。


いつもより若干ペースは速かった。

参観の終わりを遅らせたくない。




こうして参観は終わり

3歳児と共に帰宅した。


幼稚園での3歳児を見れたこと

成長を感じたこと

貴重な体験ができたこと


楽しい1日になった。



ありがとう。