ホームレスから父に成る!

ホームレスだった男の育児と日々の雑感

かみさんの、愛と怒りのアイアンクロー


かみさんが以前に買ってきた
猫の玩具がある。


猫が乗ることができる台で
タワーというには小さい。



3歳児が
これに乗っては飛び降りを繰り返している。


この猫台の柱はネジ1本程度で止められており
3歳児が乗る度に折れてしまいそうだ。



「危ないからそれに乗らないでください。」
かみさんが3歳児に注意する。


「なんで?」
3歳児は注意を聞き入れず
猫台に上ってはドアに向かって飛ぶ。



「折れるから!やめろってば!」
かみさんの語気が強まる。


「やめないもーん。へっへーん。」
3歳児の「へっへーん」の使い方は機関車トーマス流だ。



「やめろって言ってんだろ!折れるから!いい加減にしろよ!」
かみさんが3歳児の顔を鷲掴みにし

ギリギリと指に力を込める。


「痛い!痛いよ!やめて!やめてよ!」
3歳児は泣き出し悲鳴を上げた。






ちょうどいい高さの台から
飛び降りて遊びたい3歳児。


猫台が壊れること、3歳児がケガをする心配から
怒りと痛みを与えて制する母親。




私がすべきことは何か。


ふざける3歳児を怒って見せるか。

かみさんの行為を叱責するか。


私はどちらもせず

ただ、静観する。




3歳児の泣き声を聞きつけた私が居間に来たことで

かみさんは慌てて3歳児を優しく抱きしめ

頭を撫でた。


それが悲しかった。




体罰、死刑、戦争

それらは目的への手段であり

私はそれを否定しない。


然し、それらが濫りに

権力者(この場合は親)が規律なく行うなら

それを否定しなければならない。




今回のアイアンクローは

躾と見るか、暴力と見るか


私は躾に

痛みは必要ないと信じている。


親が親として未熟なとき

子を納得させる説明が出来ず

子に時間を費やす手間を省くために

痛みを与えて従わせようとする


私は体罰をそう考えている。

謂わば「親の手抜き」だ。


教師の体罰はまた別だが。




次の日、私は猫台を

居間から玄関に移した。


3歳児は

飛び降りて遊ぶことをしなくなった。


かみさんも猫台への登り降りで

怒ることも無くなった。



こんな簡単なことで

みんなしあわせ。


ありがとう。